決めたら、閉じる。〜手帳を“使いすぎ”なくなった理由〜

決めたら、閉じる。

これは、
手帳の使い方の話ではありません。

48歳の今、
暮らしの中でようやく腑に落ちた
生き方の距離感についての話です。

若い頃は、書けば整うと思っていましたし、
管理すれば安心できると信じていました。

でも実際には書けば書くほど、
追われている感覚が増えていきました。

今は違います。

決めたら、閉じる。

それだけで、
暮らしは前より静かになりました。

contents

違和感

手帳は、ずっと使ってきました。

学生の頃から社会人になってからも、
形を変えながら使い続けてきたと思います。

書くことで頭が整理される。

予定などやることを可視化すれば安心できる。
そう信じていました。

実際、
手帳を開いている時間は
長かったように思います。

予定を書き、TODOを書き、
終わらなかったものには線を引いて、
また次の日に書き直す。

一日の終わりにページを見返すと、
できたことよりできなかったことのほうが
目に入っていました。

不思議なことに、
管理しているはずなのに、
気持ちはあまり楽になりませんでした。

「まだ足りていない」
「もっとやらなければならない」

そんな感覚が、
静かに積み重なっていった気がします。

手帳を使っていないわけではありません。
むしろ、真面目に使っていました。

それなのにどこか落ち着かない。
整っているはずなのに、余白がない。

その違和感を
しばらくは見ないふりをしていました。

手帳の使い方を工夫すれば解決する。
書き方を変えれば、きっと良くなる。

そう思っていたからです。

でも、ある時ふと、

「これは使い方の問題ではないのかもしれない」

と思うようになりました。

手帳と距離が近くなっていった頃

手帳を本格的に使い始めたのは、
働き始めてからでした。

学生の頃は、
部活の練習日誌や練習計画を書く程度で、

今のように生活や仕事を管理するためのもの
ではありませんでした。

教員採用試験に合格するまでの講師の期間も、
手帳を使っていた記憶はほとんどありません。

予定も今ほど多くなく、
頭の中で何とかなっていたのだと思います。

変わったのは採用されてからです。
初任者研修をはじめ出張や会議、
提出物など予定が一気に増えていきました。

そんな中で、
一度だけ大きな失敗をしました。

出張をすっかり忘れてしまったのです。

その出来事をきっかけに、
「これはまずいな」と思いました。

それ以来、予定管理やタスク管理、
TO DO リストを書くようになりました。

手帳そのものもいろいろ試しました。
システム手帳、クオバディス、無印良品…

マンスリーだけのもの、
デイリーだけのもの…

気になったものは、
一通り使ってきたと思います。

最終的に落ち着いたのが
「ほぼ日手帳」でした。

最初はほぼ日オリジナルです。

その後、教員としての立場が変わり、
管理することが増えていくにつれて、
書く量も自然と増えていきました。

そこで、カズンに変えました。
サイズが大きくウィークリーが
授業管理にちょうどよかったからです。

振り返ると、
ほぼ日手帳はもう10年近く使っています。

オリジナル版が6年ほど、
カズンが4年ほどでしょうか。
書き方もかなり勉強しました。

ネットで検索し、
良いと言われている方法は
一通り試しました。

目標を書くといいと聞けば、
10個の目標(ビジョン)を
3年ほど毎日書き続けたこともあります。

グルノート式やジャーナリングなど、
本当にいろいろ書いてきました。

それでもいまだに「これだ」と
しっくり来るものには出会えていません。

書くことが目的になっていた

手帳は、ずっと使い続けていました。
やめようと思ったことは一度もありません。

「1日に6つタスクを書けばいい」

そう言われれば、その通りに書いていました。
スケジュール、体調、天気…

書いたほうがいいと言われるものは、
できるだけ全部書こうとしていました。

でも、正直に言うと、

何を書けばいいのかは、
よく分かっていませんでした。

だからこそ「いい」と言われているものは、
どんどん取り入れました。

書き方も、考え方も、フォーマットも…

それでも手帳を使いこなしている
感覚にはなれませんでした。
仕事がスムーズに進む、頭が軽くなる、

そういった実感は、
ほとんどありませんでした。

手帳と向き合っている間に、
時代はどんどんデジタル化に進んでいきました。

手帳に書き、カレンダーアプリにも入力し、
メモはスマホにも残す。

気づけば、

管理しなければならないことは減るどころか、

むしろ増えていました。

ビジョンも目標も、
本来は自分のために書いていたはずなのに、

いつの間にか
「書くこと自体」が目的になっていました。

本当は、
もっと楽になりたくて、
手帳を使っていたはずです。

余裕を持ちたくて
整えたかっただけでした。

それなのに、
手帳と向き合えば向き合うほど、
どこか苦しくなっていく…

その違和感を抱えたまま、
気づけば今に至っています。

距離を変える、という発想

振り返ってみると、
僕は「書くことで満足していた」
のだと思います。

手帳に書いた瞬間、少し安心する。
やるべきことを整理できたような気になる。

でも書いたあと、どうすればいいのかは、
実はよく分かっていませんでした。

書いたことを、

  • どう判断に変えるのか。
  • いつ行動に移すのか。
  • どこで終わらせるのか。

そこがずっと曖昧だったのだと思います。

だから書いたあとも手帳を開き続け、
何度も見返し、書き足し、また満足する。

今思えば、
それは整理ではなく、

書く行為そのものに安心を
求めていた状態でした。

暮らしの中で、どう位置づけるか

今は手帳を「管理するためのもの」だとは
あまり考えていません。

手帳は、
生活をすべて把握するための道具でも
自分を律するための装置でもない。

もっと言えば、
きちんと生きている証明でもありません。

暮らしの中での役割は、
ずいぶん小さくなりました。

判断が必要なことだけを書き、
決めたら閉じる。

それ以上、手帳に何かを求めない。

そうしてみると、
手帳の外にある時間のほうが、

ずっと大切だったことに気づきました。

・考えること。

・動くこと。

・何もしない時間。

暮らしは、そういった
「手帳に書けないもの」で
できています。

以前は、整えるというのは
管理することだと思っていました。

でも今は、整えるとは

距離を取ることなのだと感じています。

全部を把握しなくてもいい。
全部を書き留めなくてもいい。

決めたことを静かに実行できれば、
それで十分です。

手帳は、暮らしの中心に置かなくていい。

脇に置いて、
必要なときだけ開けばいい。

そう考えるようになってから、
生活のテンポが少しゆっくりに
なりました。

結び

手帳は今の僕にとって、

頭の中を視覚化する道具
なりました。

これまではスケジュールを管理し、
タスクを書き溜め、予定や
やらなければいけないこと、

未来の自分を決める場所だったように思います。

でも今は「ただ、今を書く」
そんな使い方に変わっています。

どう考えているのか。
どう動こうとしているのか。

それを一度、外に出して確認する。

予定の管理は、
デジタルに任せるようになりました。

その分手帳は記録、
つまり Log の役割を
担うようになっています。

振り返るために書く。
整えるために残す。

それだけで、十分です。

来年は、手帳を day free に
変えてみようと考えています。

書く量を増やすためではなく、
今との距離を保つための選択です。

これが正解かどうかは、
まだ分かりません。

きっと、
また変わると思います。

ただ、以前のように
「書かなければ整わない」
とは感じていません。

決めたら、閉じる。
余白に戻る。

今は、
それくらいの距離感が、
ちょうどいいと感じています。

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この記事を書いた人

48歳、55歳までに人生を再構築するログ。
Money/Work/Life/Style を整え、
“大人の美意識とOS” を再設計する日々の記録です。

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